社長ブログ

ブログ内検索

2017年09月17日 江戸時代の間口2

 須坂市で見つけた道路下の岩。道路の擁壁が岩をうまく取り囲んでいますから、土木事業者の技術力の高さが感じられました。

20170917-1.jpg

 先日、間口距離で悩む物件がありました。
 ふと「Q&A農地の評価」の本の中でカット(コラム1:江戸時代の間口)した箇所を思い出しましたので紹介します。新潟県の高田藩の話です。
 下記文献によると
「寛文5年(1655)12月27日(太陽暦翌年2月2日)午後3時から7時にかけて,1丈3尺の大雪の中で大地震が起き,全町壊滅的な被害を受けた。豪雪に加えて夕食時であったため火事が発生したが,家の周囲が雪の壁で逃げ場がなく,氷柱にさされた者,あるいは屋根からのなだれの下になった者など多数の死傷者が出た(家中での死者は家老2人,侍35人,その他120人余,町人の死者,行方不明者など約1,500人)。(略)圧死した家老の子,小栗美作は幕府から5万両を借り受けて,その半分の2万5,000両を城下の復興に用い,表通りは間口1間につき1両,裏町は2分ずつ貸し与えている。」
 江戸時代は間口が復興に大きな影響をおよぼしていました。
 この記述の中で1丈3尺は約3.9mになりますから、今の住宅でいえば2階窓の中間(約4m)ぐらいまで積もったことになります。
 高田藩で雪が1丈(約3m)以上積もった年(江戸時代)は1655年(約4.2m)、1749年(約4.8m)、1752年、1814年(約4.5m)、1834年、1841年にありました。積雪が1丈(約3m)を超すと早馬で幕府に届け出るのが通例であったそうです。
 今も昔も豪雪に悩まされているのは変わらないことを実感しました。
<引用文献> 
「豪雪譜〜雪と人間との戦いの記録」pp.16-17,財団法人日本積雪連合,昭和53年

この記事へのコメント

書き込んでいただいたコメントは、管理者の確認後に公開させていただきますので、ご了承下さい。

お名前
E-MAIL(非公開)
URL
タイトル
コメント
  投稿キー    [キー入力]
 
迷惑書き込み防止のために投稿キーを設定しています。
投稿キーはhycpです。上記の「投稿キー」にご記入下さい。